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30 juin 2007

des chaussures, un fleur et la musique


正直、いろいろわからないけども、「なんか違うな」に敏感になってきてしまってるみたいだから、ただ自分のしたい、できることを、しよう。それがきっとなにかにつながっていくんだろう。
制作の話ね。

29 juin 2007

28 juin 2007

27 juin 2007

le musicien


そうか、色彩か。色彩は響き合わねばならない。

26 juin 2007

whaf!


もしかして、色彩って超重要?

25 juin 2007

seul


今きっと真剣に自己否定の最中なのだ。今のうちに、今年のうちにまた耕しておかないと、いけない気がする。今まで培った肥料は今年でたぶん切れる。

24 juin 2007

23 juin 2007

parcours


描いても描いてもなかなか決まらず、疲れた。今日は休みの日でした。

絵の具

なぜ絵の具を使わないようにしてるかというと、準備後片付けが面倒だから、に尽きるような気がする。
バーンと面を塗りたい欲求には絵の具が一番なんだけどねえ。
そうか、だからアトリエが欲しくなるのか。

22 juin 2007

21 juin 2007

20 juin 2007

les yeux qui voient une étoile

ただがんばっているだけで

ただ、同じようにものを作っている、がんばっているかどうかは知らないけど続けている、そういう人達がいるというだけでなんだか力になるみたいです。
ただその姿勢だけで。すごい影響力ではないかしら。

19 juin 2007

何もない部分

なぜ絵のその部分を見て、何もないと感じたんだろう。たしかに空虚で何もないのだ。
毛が描いてあってそれを掴む手と腕が描いてあって、それに力が入ってないせいか、空をつかんでいるよう。
ある人は、真ん中に何もない、だから嫌いと言った。僕は、だから良いと思いなおした。
それはとても僕のようだったから。

- 5月出展作品「鎖」の考察 -

un ange

18 juin 2007

太陽

つまるところ、天気が晴れてりゃ気分も良いのさ。
くもってたらちょっと憂鬱なのさ。

la forme de famille


こうやって絵を描いて暮らしてゆけたら(お金になったら)、いいなあ。
ほんとにいいなあ。

髪の毛

髪の毛ってなんでこんなに邪魔なんですかねえ。
ないと困るものでもあるのだけれど。

いつも髪の毛が伸びて、切らなきゃなあと思う時期はうだうだ考える。
床屋とか美容室は苦手なのです。髪の毛に対する注文をうまく言葉にできないから。

頭が重くなると同時に、考えも重くなる。
髪の毛から始まって、自分自身のことやら、いろいろ、いろいろ。
切ってしまえばすっきりする。
そういった意味で髪の毛は、自我、煩悩の象徴なのです。

でもほんと、切った髪の毛ってまだなにか宿ってる気がするから、何かあると思う。

描きたいものだけを描く

これでいいと自分では思うのに、ここまで描かなきゃと余計な考えをしてしまうのは悲しいなあ。
なかなか踏ん切りつけられない。

そもそもだから、絵の道を目指してるんじゃないかい。
そのうちちゃんと、自分の描きたいものだけを描いた展示をしないとな。

鎖を外すのは無理なのは分かってる。
ただ、鎖を持ちながらも軽やかに走り回りたい。
動き回れるのなら、鎖の有る無しは関係ない。

17 juin 2007

ああ、なるほど

絵を観た時、ああなるほど、っていう感想を持っちゃったら、その絵はだめ。どっちかっていうと、ああなんか、、、みたいな感じが良いんじゃないかな。脳みそだけを動かす絵は面白くないです。心を動かしたいのですから、僕にとっての絵は。

線は描けば描くほど洗練されてくけど、
もっと生々しい泥臭さが欲しいのよ。
忘れちゃいかんのよ。

l'homme


久しぶりにジェネラル(ベルヴィルのアーティストのたまり場)に顔出して、飲んで話して少し空気入れかえたよ。

自力ということについて

僕が自分の力でしたことなんて、ほとんどないんじゃなかろうか。
先に動いている人達に紹介してもらったり教えてもらったり、
僕がひとりで見つけたことなど、ほとんどないんじゃなかろうか、ねえ。
いくら一人だ孤独だ、と気取っても、
他人に頼ってる部分、すごく大きいんじゃないかねえ。

16 juin 2007

l'homme


絵描くの、スッゲー疲れんだけど。
たいした時間割いてないのに、脳みその沸騰し具合が、、、。

15 juin 2007

伝えたいこと

伝えたいことがあるから、届くんだろうか。

個人は、全体につながるんだろうか。

真似について

僕はいろんな画家の真似をすること、何かしら似てしまうことを悪いことだとも何とも思っていない。
今はまだ、いやずっとかもしれないけど、模索の途中だし、観て「良いな」と思った何かは、一度体で追いかけてみないと何が良いと思ったのかちゃんと消化できないのだ。そうやって自分の意識と対話して、何が好きなのか嫌いなのか探っている。
それほど、自分というものは分かっているようで分かってない。
そして、そうやって見つけた自分の根っこと結びついた表現は、たとえ何かの影響が見られたとしても胸を張って自分の絵ですと言えるような気がする。

絵を描くっていうのは、深く自分の根っこまで潜っていくことでもあるんです。大学である先生が言った言葉が今でも僕の表現の原点です。
「自分の創作の原点を探しなさい。」
そこからだけは、足を踏み外さないようにしたい。

dehors de la fenêtre

14 juin 2007

絵の良さ

絵を観て良いな、と思う時ってやっぱりその人となりが見えた時です。
だから、記号表現に頼っていてその人が見えない絵はあまり面白くないのです。そして同じように、どれだけ真剣に絵に向かったか、というのも割と見えるもんです。
自分が絵を通して何かを伝えようとしてるように、僕も他人の絵からその人を読み取ろうとしてるんです、きっと。

そこまでが個人活動の作品。
素晴らしい絵描きと呼ばれる人達は、そこからさらにもうひとつ大きく訴えかけるメッセージが、あるんだろうな。

声を大きくすればするほど、遠くまで届くんだろうか。

la ligne de partage des eaux


ふっくらした手ってとても魅力的だな、と思いませんか。
握手したときの感じってやつも、とてもよく人となりを感じさせるものです。

13 juin 2007

autoportrait


仕事、辞めようと思う。やっぱり本気を入れられないものにずっと中途半端に足突っ込んでちゃだめだ。といっても全然すぐの話じゃないけれど。
最近ことある度に考えていて、たぶん今日がカチっとスイッチが切り替わった日。少しずつ真剣に準備し始めます。

12 juin 2007

11 juin 2007

lignes


デジカメが少しずつ壊れていってるみたい。そろそろか。

10 juin 2007

感傷的

僕はわりと、悲しい話や別れの歌などで感傷に浸るのが好きだ。
それは、したつもり?それで何かを済ませてるのかな?
それとも、凝りをほぐすためのストレッチ?

la dépendance


言ってしまえば、線ができた時点で絵のほとんどは完成してるのです。
できればそれだけで終わらせたいくらいだけど、やっぱり線だけじゃ力が足りない、ので色で豊かさを与えるのです。

インターナショナル

インターナショナル、グローバル、外国、特に外国人に対して開いてるってどういうことなんでしょうね。やっぱり自分がそんなに開いてないから他人もそうなのかな?
開いてる閉じてる、は国民性の問題じゃなく、結局は興味あるかないか、のような気がする。

僕は、受け身としては開いてるんだけど、能動的には充分閉じてるな。
時々好きな部分じゃないが、でもしょうがない。僕は僕でしかない。

9 juin 2007

un arbre


東京タワー観て、どぼどぼ涙流してます。家族話にはとことん弱いのです。
時には思いっきり泣くのも必要だよね。どっかの凝り固まった筋肉がほぐれるようです。

8 juin 2007

le combat

あっちに行きたい

自分がいいと思う、もしくは試したい方向になかなかがつんと行けないんだな。
ふらふらと行きつ戻りつしながら少しずつは歩を進めているのだけれど、このもどかしさはどうなんだろう?そういうものかな?ほんとにわからないよ。

7 juin 2007

6 juin 2007

わかってるよ!

わかってないけど。

まだ岸につかまってる

自分で泳いでいるようで、まだ全然岸辺を離れてないし手は岸をつかんだまま。
そろそろ、そろそろ岸辺をとんと押してみる頃だろう。

le soleil calme

5 juin 2007

つながり

すべて投げ捨ててしまいたくなるような時、ふと目に耳に入った思い出 が、自分というものは過去からずーっと続いているのだということを改めて思い出させる。
ぷっつり切ってきれいに清算できる訳もなく、続けていくしかないのだと改めて腰を上げる。
多くはないけれど、つながりを思い出させ温かくしてくれる思い出がぽつんぽつんとあることに感謝しよう。

un ange

デジタルイメージ

デジタルのイメージって、今のところイメージを描き求める人の究極の表現ではないかしら?物質でない、イメージだけの存在。光からなる、という表現に限定されちゃうけど。

説明と表現

よくイラストと絵、の違いを考える。
考える必要はないような気もするけれど、絵を描いていて、これはイラストだなあ、今回は絵になった、と自分の中でなにか説明できない境界線があるのでずっと気になっているのです。
今のところ思ってるのは、説明だけになっているか、その先のなにか、感情や精神、思考の奥行きがあるかどうか、みたいなところ。

ほんとに微妙な違いな気がするけれどね。絵はもっと何かを動かすもの、もごもごうごめているもの、だと思うのです。そういう意味じゃ生きていると死んでいる、動いていると止まっている、なんてのの方が分かりやすいかも。

4 juin 2007

la direction


自分は一番の自分の絵の理解者で観察者です。主観的、客観的の間ということ。

3 juin 2007

???

2 juin 2007

1 juin 2007

la main


なんだか、なんだかなあ。